今回ミラノに行った目的の1つは、修復を終えたレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見ること。これはかねてからうちの奥さんがリクエストしていたことでもある。
最後の晩餐は完全予約制で見ることが出来る。
現地に着いてから予約が取れないとなると悲しいので、日本からインターネットで予約と支払いを済ませた。けっこう簡単。
この予約サイトのページの中のカレンダーのから空きのある行きたい日時を選び予約、クレジット決済を済ませ、送られてきたメールをプリントアウトしてレセプションに持って行くだけだった。1人6.5ユーロ+手数料1.5ユーロで8ユーロだった。
当日、ミラノは寒かった。
北イタリアに訪れた寒波に空気は冷たく空はどんより。
路面電車に乗り、マップ上で教会の近くであろう停留所で降りた。教会のありそうな方向を見ると、ガイドブックで見たサンタ・マリア・デッレ・グラツィエの頭の部分が見えた。
あれかな、たぶん。
思ったよりも人気のない中庭の先に受付らしき場所を見つけた。
あまりにも人が少ないので自信なくプリントしたチケットを見せると、慣れた口調での説明と共にクリアファイルに収められた「最後の晩餐はあっち」と矢印つきのイタリア語で書かれた紙を見せられた。どうやら間違うのは僕だけではないようだ。
この寒空に花の蕾をつけた木と、キレイに剪定された庭木が迷路のようになっている中庭を抜け、指示通りに教会の外を建物に沿って歩くと、ガイドブックの写真のようなアングルから教会を見ることができた。
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殻々工房で光山 明さんによる写真展「ニッポン顔出し看板紀行」がはじまりました。
何年前になるんだろう、光山さんが毎年参加されているグループ展「ミックスジャムは見た」の会場で、このシリーズの作品の前で話しをさせて頂いたことがある。たしか、シリーズ最初の作品の、池袋サンシャインシティの吹き抜けに巣鴨プリズンの顔出し看板を置いた作品のときだったような気がする。
現在、サンシャインシティが建っている場所は、かつて巣鴨刑務所だったという。主に共産主義者等のいわゆる思想犯や、反戦運動に関わった宗教家等が拘置されていたのだそうだ。太平洋戦争後GHQに接収され「巣鴨プリズン」と呼ばれ、極東裁判に関わる容疑者、いわゆる「戦争犯罪人」を主に収容されたという。現在のサンシャインの吹き抜けが、かつての巣鴨プリズンを想わせることから、そこに顔出し看板を置き1枚の写真に収めることで、今見えている風景が心のなかでどう変化するのかということ探るというような作品意図なのだと理解した。
このアースダイビング的な作品に興味を持ったので、いつかこのシリーズがたまったら、ぜひ個展として見てみたいですね、という話をした。
この顔出し看板は実際に設置、撮影されたものとそうでないものがある。その部分も含め、どれがリアルで何がリアルでないのかということも含め、その写真に収められた場所の歴史や、問題、未来などについて鑑賞者に考えを馳せていただけたら、と思います。
たとえば、多々良沼の地底深くに使用済み核燃料を埋めるという計画をクリーンだとする顔出し看板と、飛来したたくさんの白鳥の姿に、その工事が進められたあともこの白鳥を見ることができるのだろうか、という考えとともに、その後の景色を頭の中で想像することになる。見た景色と違う風景が鑑賞者の頭の中に広がれば、それがこのシリーズの面白さなのだろう。
今回、光山氏の作品は9点。
彼の制作の原点とも呼べる足尾鉱毒事件と渡良瀬遊水池などの他、東海村原子力発電所、茨城空港、スカイツリーなど。
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