27日、祖母が86歳にて他界いたしました。
僕のなかには不思議と悲しみはなく、淋しさだけがありました。随分と前から心臓と脚が悪く、私の両親にとっては何年間にも渡る介護中心の慌ただしい生活のなかで、祖母が笑顔で僕に言った「今が一番幸せだよ、もう、じゅうぶん。」という言葉が、僕を悲しい気持ちにさせないのかもしれません。僕は笑顔で祖母を送り出しました。棺には大好きだった”氷川きよし”のポスターも一緒に入れて。
僕はおばあちゃんと二人で話をするのが好きでした。
蒸気機関車の煙で家が燃えたときのこと、防空壕や武器の隠し場所のこと、近くに空襲があったときの景色、むじなを見た時のこと、近所にあった御神木のこと、鮒の刺身のこと、幼い頃に母を亡くしまた幼い息子を失ったときのこと、その全てが聞いた話しではなく自分の視点で話てくれるのが嬉しかった。まぁ、それを聞くにはいつもの体調不良の話を何十分か聞いて慰めなければ教えてくれないのだけれど、家族一緒だとゆっくり掘り下げられない話を聞くことが出来たから、僕は時間のあるときにおばあちゃんの部屋に行って、ゆっくり話を聞いたのでした。
納棺前の祖母への線香と蝋燭を絶やさないために、ひと晩、妻と付き添いました。そういえば、祖父の時も、母方の祖父の時も、うとうとしながら夜中付き添ったような気がするな。一輪だけいけられた芍薬が美しく直りたてのデジタルカメラで一枚写真を取りました。