きのう。ベッドの中から見た朝の雨はいつの間にか雪になり、あっという間に辺り一面が白くなった。
6年間履いたスタットレスタイヤは最後の2年は夏もそのまま履き潰し、タイヤの中央はレース用タイヤのように平になったところで、先日の車検のついでに新しいものに取り替えた。家で暖をとる薪はそれなりにあるし、予備用の灯油もタンクに2つ。お金はそんなにないけど、とりあえずはこれが記録的な大雪になったとしても何日かは普通に過ごせると思うと、とても幸せな気持ちになった。
こんな自然の変化と妄想だけで幸福感というのは得られるものなんだな。
妄想は現実にはあらず、昼まえには晴れ間が見え、夕方には路面の雪はすっかり溶けた。
店の中から窓の外を見る。
雑木林の紅葉はとうに終わり、庭先のブルベリーだけが赤い葉を残しているなかで、針葉樹でもないのに青い葉をたくさん残した木が見える。
店をはじめた頃に植えたグミの木だ。
もう少し寒くなれば、葉は黄色くなり、まるで耐えられなくなったかのように一気に落葉する。時期的にはモッコウバラの葉がなくなるのと同じくらいだったんじゃないかな。
ある夜、お客さんから、おたくが庭に植えてるのは造花っていうか.....あれは偽もんの木なんだろ?、って言われたことがある。
あれもちょうどこのくらいの時期だった。うちの周りの雑木林では冬に葉を残しているのはスギやマツなどの針葉樹か、あとはクマザサやシノダケくらいという感がある。広葉樹なら紅葉をとっくに終えている時期に、初雪をかぶりながらも青々とした葉をつけたグミの木は違和感があり、不自然だと感じるものなんだろう。
たとえば、70歳を過ぎた男性の頭髪が、カラスの羽根を束ねたような艶やかな黒色だったとしよう。これは不自然だと思い、きっとあの人はカツラを被っているんだろうと推測すると思う。それが50歳の男性となると判断が微妙になる。全ては憶測なのだけど、うちのグミの木にはこのようなカツラ疑惑が掛けられたようなものなんだと思った。
このグミの木は自生していたんじゃないから植生からすれば自然とは言いがたく、また暖かい場所であれば落葉せず旺盛に繁りながら一年を過ごす種類なのかもしれない。植えたのは僕だから少し申し訳ない気持ちがある。
だけど寒冷地に不向きそうなオリーブなども植えてみたいという気持ちがある。きっと植える場所と育て方によっては大きくなってくれるんじゃないかという推測と希望は持っている。
鳥や猿が種を運んだくらいに、エゴイスティックな僕もその仲間として見てもらえたら嬉しい。