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糸と糸の間 縫nui project/もうひとつの美術館

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栃木県那珂川町にある「もうひとつの美術館」に行って来た。
ここはよくある美術館とはちょっと違う。廃校した小学校の木造校舎の内装だけリメイクして、春・夏・秋の年3回の企画展を中心にイベントなども開催、そして、展示する作家はみなどこかにハンディキャップを持つ人達。この日、催されていた企画展は鹿児島市にある知的障害者支援施設「しょうぶ学園」から創作刺繍グループによる「nui project(ヌイプロジェクト)」だった。

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ーもうひとつの美術館HPより一部を抜粋ー
ハンディキャップを持つ人の芸術活動をサポートしながら、[みんながアーティスト、すべてはアート]をコンセプトに、年齢・国籍・障害の有無・専門家であるなしを超え、アートを核に地域・場所やジャンルをつないでいく活動を行っています。

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美術雑誌でアウトサイダーアートの記事をよく見る。美術におけるアウトサイドはインサイドに対する反抗から生まれたものであって、アウトサイダーアートの基にあたるフランスのアール・ブリュットは美術教育を受けていない者を指しているのだと僕は思っているけど、その言葉を作ったデュブッフェが意図的にだと思うが知的障害のある作家を多く紹介したことから、今ではアウトサイダーアートといえば知的障害者の作った作品を指しているように思う。
このインとアウトって面倒くさい。僕は知的障害のある人の作品を煽てるつもりはないし、同じように美術の専門教育を受けたからといって意味のある表現を出来るとも思っていない。ただ、突出した何か無しに作者がただ何かを描きたくて描いた、というだけでは、アートとは呼ばれず人類の歴史にも残らないことが多い。時代とともにその作者がこの世から消えてもなお必要とされるものがアートなのだと思う。だけど、それ以外の美術表現は意味が無いかというと全くそうではない。ただ同じ時点で、同じ土俵では語れない違いがあると思う。
もうひとつの美術はいろんな事をボーダーレスにしようとしているのだと思う。表現する事だけに重きを置き、表現する人はみんなアーティストだ、と定義する、まさに、もうひとつの美術館なんだと思う。

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今回は利用しなかったけど、夏の昼下がりにしては涼しげなカフェブースもある。

※この画像は、校舎をノスタルジックに見せるために加工しているものではなく、この日、iPhoneしか持っていなかったから、です(^_^; 

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Comment(2)

アウトサイダーアート
そうですか美術では残りにくいのですか・・
もったないないような
でも民芸品のように
生活の中でふつうにある自己の表現としては
まさにふさわしく
刹那を生きる人間にはそのほうがいいのかも
あまたの名も無き民具が生まれては消えてゆくように
アウトサイダーアートも歴史を超えるものが現れるかもしれませんキース・ヘリングは良いたとえではないような気がしますが
新しい潮流だったはずです・・

何より
自分のような素人からは
芸術を読み解くのは難しく

次々と生まれいずる
そして消えてゆく・・
佳作
それこそが自然なような気がします、
時間を超えて強靭に存在するタイムカプセルに
なった芸術はそれなりの意思と巧妙な設計図に基づいた
技巧が凝らされているのだと感じます、
ある意味建築に近いものが残る作品だと思います、
なんとなくですが
神の所作を真似るような人類の存在を賭けたチャレンジに
神が応えるのだとも思います。

ところで
本流を外れた存在・・
まさに
私がそんなカンジ・・
でも世の中に
アウトサイダーの存在を示したいです。

OIL:

佐々木さん、こんにちは。
先日はすっかりご馳走になりましたm(_ _)m

アウトサイダーアートはしっかりと美術史に残っていますし、これからも質の高いアートは支持する人達によって残されていくと思います。

もうひとつの美術館はインとアウトという境界がないところに魅力を感じます。ただ、ハンデを持っている人達はサポートしなければ表現は出来てもステージに上がる事ができない。その部分を担うというのが彼らのコンセプトなのだろうと思いました。

イタリアで落書きが後を絶たないのは、彼らが自分たちの落書きを、どうだ、美しいだろ、と見せたがっているからだというインタビュー記事を読んだ事があります。こまった落書きもあれば、そこから優れたストリートアートが生まれることもありますよね。その点では美術大学を出たって作家になるのは一握り。調べてみないと分かりませんが、数的にはインもアウトもそれほど変わらないのかもしれませんね。

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2009年08月23日 00:59に投稿されたエントリーのページです。

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