5月の連休を過ぎると、その前まで頭のなかやこのブログの書きかけにストックしておいたものが記憶喪失まえのことのようにデッドストックになることがある。とはいえ、今回のフランスでの記録もそろそろ終わり。ようやく那須も新緑の季節。
サンポール・ド・ヴァンスからバスで10分、ニースからだと1時間ちょっとで終点ヴァンスに着いた。ここにはマチスのロザリオ礼拝堂がある。
礼拝堂内の見学は昼休みが午後2時まであるので、それに合わせてゆっくりめに来たのだけど、この日の天気予報は午後から雨。まだ降り出してはいないけれど、陽射しは暗い雲に遮られ、風が吹き、冬の嵐でも来そうな寒さでした。
バスターミナルからロザリオ礼拝堂に向かう途中。
川を渡る橋からさっきまでいたサンポール・ド・ヴァンスの村と鐘楼が見える。
マチスが大戦の戦火を逃れ住んだヴァンス。
この坊主頭みたいな岩山は那須の茶臼岳を見ているようで親近感を感じる。
天気よければゆっくり散策したいところだけど、小雨が降り始めたので足早に礼拝堂に向かいます。
ここがロザリオ礼拝堂。
マチスが77歳から4年掛けて設計から装飾まで全てをデザインしたという礼拝堂。
40歳くらいから南仏の光に魅せられ毎年冬はニースで過ごすようになり、71歳のときにニースにアトリエ移します。その時、十二指腸癌の手術を2度受け、生死をさまよい、同じ年に第2次世界大戦が勃発、パリにいた妻と娘はナチスに拘留され、ニースでもはじまった空爆から逃れるために山の上にあるこの村、ヴァンスに移り住みました。
戦争が終わった頃、アトリエの向かいにある修道院から焼け落ちた礼拝堂の再建のためにステンドグラスのアドバイスを申し込まれた彼は、ステンドグラスだけでなく設計から全てを無報酬で引き受けました。ベッドから立ち上がれない時は竿を使い壁に習作を描いた様子や、たくさんの習作、模型などがニースのマチス美術館で見ることができます。
内部は撮影禁止なのですが、ポストカードが売られています。教会の維持費として、また視覚的な記憶をつなぎ止めるものとして購入しました。
もちろん、インターネットの画像検索で見ることもできます。
祭壇奥に描かれたシンプルな黒い線だけの大きな「聖ドミニコ」に目鼻口はなく、見る者全ての心のなかにあるであろうそれぞれのドミニコ像を充てることのでき、見る側の想像力を阻むことのないように描かれている。同じように、キリストと聖母マリア像、キリストが審判から処刑されるまでを描いたキリストの受難もある。
聖ドミニコとマリアの対面にはそれぞれ青、緑、黄の3色で作られたステンドグラスがあり、真っ白な礼拝堂内にステンドグラス越しに注ぐ光は静かに優しく美しいものでした。祭壇の燭台は蓮の花をイメージしたもので、十字架、書見台、修道女の椅子などもマチスによるデザインなのだと、礼拝堂内にいらしたガイドの方が話していました。
戦争のあと、全てを失った人に安らぎを与えるために作られたような礼拝堂。
マチスのコンセプトとテーマを平面でなく空間として見事に形にした彼の最高傑作なのではないだろうか。この空間を体感できてよかったと思っています。