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永瀬恭一「もぎとれ 青い木の実を」展

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永瀬さんの殻々工房での個展は今回で3回目となります。
1回目は白い油絵の具のみでの作品群。
2回目は白い絵の具に少し青みがかった色が加わった絵画がメインでした。
今回はガラッと変わって画集を見て描いたものと庭の植物を見て描いた作品です。

昨年は美術展を見てのメモをサボっていたので、久しぶりに思ったことを飲み屋のおじさん目線でメモ。(シラフの状態です)

これは画集を見て描いたといっても模写ではない。
作家が先人の作品を見て作品を作るときは、その作品の本質の部分を模倣することが多い。
それは自然に触れてその本質を美術的に探ることと同じものであって、作品はオリジナルとは似ていなくとも繋がっていて、場合によってはその時代の社会的な問題を提起する意味が加えられ新たに深く高い芸術性を持つ可能性もある。
ぼくの生きている現代の美術では、複雑な時代だから作品も複雑であったり逆にシンプルになることもある。それもある意味、自分のまわりの世界を反映させているとも取れる。仮に模写であってもコンセプトによっては美術作品になりえるのは現代的なことだと思う。

永瀬さんの展示はどうだろう、と思いながら見て、展示がはじまり2ヶ月が経った。
展示の形式からみると、庭の植物を見て描いたドローイングと同列に置かれている。
画集を見て描いた作品は油絵具、庭の植物は素描、という画材による違いもあるとしても、どうしても庭の植物のドローイングよりも名画のほうが作品のインパクトが強い。
やはり巨匠の作品は庭の落ち葉に埋もれていたとしても強いということだろうか。
永瀬さんの作品は完成形というよりはスケッチのような時点で止められている。自然をスケッチする感覚で名画をスケッチしている。なるほど、これは開かれたスケッチブックなのだ、と思ってみる。

さて、作品の中に踏み込んでみよう。
モチーフとなったオリジナル作品はマネ、ボナール、セザンヌ、ゴッホといったフランス近代絵画の巨匠の名画だから、美術好きなら比較もしやすい。
もし可能であれば、一点一点、オリジナルの作品と照らし合わせてみるとおもしろい。
原作に忠実、というものはなく、画面のなかではオリジナルにないイメージが加えられたりしていて、例えば「セザンヌのマルセイユ湾」については原作にないバランスで青いラインが強く引かれていて、もはやマルセイユの海岸線ではなく山の稜線のように見えたりする。また「ボナールの食卓の一隅」を見れば、画集を見ながらとはいえ作家が自分の作品として成立するため、具象絵画をある程度自由に抽象化していることが分かる。
有名な「ゴッホの靴」や「マネのモリゾ」はタイトルを見てもしばらく自分の持っているオリジナルイメージと作品が重ならないのが愉快でもある。

そんななかで、「ボナールのミモザの見えるアトリエ」は原作もスクエアだからかもしれないけど、原作を見たときの印象とやや近いものを作品の中に感じる。ポンピドューで見る原作の暖色溢れる画面とは違うのだけれど、冬に輝くように咲く南仏のミモザを室内からの窓越しの視線で捉えたボナールの構成と色のアクセントと粗密が、この作品の中でも生きている。
ミモザの美しさを際立たせる視覚的構成の一部を作品に再現できているということかもしれないし、原作から離れて、絵画として独立しえる可能性をこのスケッチから感じ取れる。
そしてこの作品が2つの非売品のうちの1つだったりするあたり、ぼくは勝手に腑に落ちたりもするのだ。

スマホの時代、タイトルを検索して原作を見ながら鑑賞するのも一興です。
そんな永瀬恭一展も1月17日まで。

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2015年01月04日 21:31に投稿されたエントリーのページです。

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