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サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会でベルニーニの「聖テレジアの法悦」を見ながら妄想

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ベルニーニの「聖テレジアの法悦」をみるためレプッブリカ駅の近くにあるサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会へ。

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ちょっと早く着いてしまって、教会はまだ昼休み中。
玄関前の物乞いさんの相手も面倒だったから近くを歩きながらの時間潰し。

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教会の向かいにはモーゼの噴水。
教会のドアが開いたみたいだから行ってみましょう。

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うわっ、すっごいバロック..........。

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教会内には左右に幾つかの礼拝堂があり、そのなかのひとつ、主祭壇左のコルナロ礼拝堂に「聖テレジアの法悦」があります。


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これがコルナロ礼拝堂の「聖テレジアの法悦」。
この礼拝堂にある、絵画、フレスコ、彫刻、デザインなど、礼拝堂全体がベルニーニによる設計であり、作品となっているのだそうだ。そのため「聖テレジアの法悦」を中心としたこの作品群はこの場でしか見られない体感型の作品という印象を受ける。

見上げる位置にある聖テレジアと天使は雲の上の乗っている。
その両横にはオペラ座のような座席でその瞬間を見物するコルナロ家の男達。
テレジアの上部には自然光を取り込む窓がつけられていて、日差しが金メッキに反射して光の雨のようにテレジアに降りかかり、より劇的な演出にしています。

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見上げる高さにあり正直、彫刻自体は見えにくいです。
またそれほど近くまで寄れないので、やはり現場では双眼鏡が役に立ちます。

この彫刻の見所と言えば、なんといってもテレジアの恍惚とした姿なのでしょう。
もし、日本からこれを見に来た、なんて言ったら、相手によっては、お前はどれだけスケベなんだ、と言われそうなくらいに、性的絶頂とも取れる姿です。Wikipediaの拡大画像のほうが見やすいです。

まずはこの作品の元となる16世紀に実在したイエズス会の修道女テレジアの自叙伝を抜粋をWikipediaから転記。

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私は黄金の槍を手にする天使の姿を見た。穂先が燃えているように見えるその槍は私の胸元を狙っており、次の瞬間槍が私の身体を貫き通したかのようだった。天使が槍を引き抜いた、あるいは引き抜いたかのように感じられたときに、私は神の大いなる愛による激しい炎に包まれた。私の苦痛はこの上もなく、その場にうずくまってうめき声を上げるほどだった。この苦痛は耐えがたかったが、それ以上に甘美感のほうが勝っており、止めて欲しいとは思わなかった。私の魂はまさしく神そのもので満たされていたからである。感じている苦痛は肉体的なものではなく精神的なものだった。愛情にあふれた愛撫はとても心地よく、そのときの私の魂はまさしく神とともにあった。この素晴らしい体験をもたらしてくれた神の恩寵に対して、私はひざまずいて祈りを捧げた。
....................................

この宗教的エクスタシー体験を、この姿勢のテレジアで表現することで性的エクスタシーと重ねたと思われても仕方のないことでしょう。
僕にはこのような宗教的エクスタシー体験はありませんから入り込めない世界なため、これを性的エクスタシーにしか見えず、その作品を見事に表現したベルニーニを、変態なんじゃないの?と思いはじめたときでした。

この自伝にベルニーニが性的なイメージを重ねて作ったのかどうかは意見の分かれるところでもありますが、しかし、このあとボルゲーゼ美術館の作品群、リーパ教会の「福者ルドヴィカ・アルベルトーニ」を見て、性的なイメージを持っていたようにしか思えず、とても美しい作品であると同時に、やっぱり彼はかなりの変態だと思うのです。

誤解があるといけないので書き加えておきますと、変態は性的なものだけとは限らず、もちろん悪いことでもないと思っています。
むしろクリエイティブな仕事をする上での原動力として、ある程度何かに変態でなければならないでしょう。

見る角度を少し変えると、聖テレジアの上部の自然光を取り込む天窓が見えます。

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天窓から差し込む光の変化によって金色に輝く光のシャワーと作品の見え方が変わります。

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やはり光が強いときほど黄色いガラスを通した光によって聖テレジアの姿が劇的に浮かび上がりますね。
やや暗い教会内でこの効果は大きい。ベルニーニの設計による演出、やるなぁ。

しかしここでまた、この雨のように降り注ぐ金色の光と聖テレジアをみると多くの画家が西洋絵画の主題に取り上げられた「ダナエ」を思い出してしまいます。

簡単にダナエの話をすると、アルゴス王アクリシオスは占いにより、美しい娘ダナエーの息子、つまり王の実の孫によって殺される、という予言をされます。それを恐れた王はダナエに男が近寄らないように高い塔の一番上の部屋(地下室だったなど違う話もありますが)にダナエを閉じ込めました。地上からは誰にも見えない部屋でしたが天上の神ゼウスからは良く見える場所、塔の上の美しいダナエを見つけ、ゼウスは金の雨に姿を変えてダナエと関係を持ち、ダナエは神と人の子ペルセウスを産みました。
絵画の主題として好まれたのはこの場面ですが、悲劇のつづきが気になる方のために続けますと、
王とダナエは自分の手では殺せないとして、赤ん坊を箱に閉じ込め海に流しました。ペルセウスはその後漁師に拾われ島で成長します。成長したペルセウスはアルゴスに戻り、それを知った王は、死を恐れてラーリッサに逃げました。あるときラーリッサの王が父の葬礼競技を行い、ペルセウスも参加。しかしそこに王アクリシオスもいて、孫ペルセウスが知らずに投げた円盤が王アクリシオスに当たり死んでしまいました。

さて、16世紀以降、西洋絵画で好まれ描かれたこのダナエ、ゼウスは金色の雨や金貨によって描かれ、ベッドに横たわる裸のダナエに降りそそぐ金色の雨の場面を多くの画家が描き、また多くの富豪がコレクションに加えました。
してみると、聖女テレジアに降りそそぐ金色の光がギリシャ神話のゼウスとも重なり、より性的なイメージを強めているようにも見えます。でもまぁ、ここは美術館じゃなく教会ですけどね。

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聖テレジアの上部の窓は2つあり、一つはフレスコによる天使と天界を表す降り注ぐ光を描いた天井画を照らし出しています。

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右に見えるのが劇場のような席で見物する男たちによる目撃者。
彼らに聖なるイメージはなく現実の世界にいる僕らと同じ人間として表現されていますね。
それによって、見ている僕も聖テレジアのエクスタシーの目撃者の一人となる。
この作品の鑑賞者をも取り込むよう設計されているわけですね。

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ほかの礼拝堂にも、やはり背後に金メッキスタッコを配置された作品がありますが、天窓がないとこれくらい印象が違いました。
「聖テレジアの法悦」の印象の強さはベルニーニの彫刻の技術の高さだけでなく、礼拝堂全体の設計の効果を感じますね。

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いやあ、それにしてもすごい教会ですね。
宗教改革も起こるべくして起こったような気がしてきました。

聖テレジアの法悦/ Wikipedia

サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会/ Wikipedia

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2015年04月16日 13:01に投稿されたエントリーのページです。

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