今回のイタリアで一番じっくり見たいと思っていたのはミケランジェロの作品。
ローマではヴァチカンで圧倒的なスケールのシスティーナ礼拝堂やピエタ、ヴィンコリ教会のモーゼなど見られたけど、やはり何と言ってもミケランジェロといえばフィレンツェなのでしょう。
美術史や芸術理論の本を読んでいて、この何年か急にミケランジェロの作品を見直したいと思いはじめたのが理由で、ミケランジェロの技術はもちろんですが、ミケランジェロの社会を見る目と、作品に反映された社会性と芸術との関係を作品を鑑賞することで体感したいという欲求に駆られて遠路はるばるやって来たわけです。
ミケランジェロについて詳しいことを書こうとすると貧乏暇なしな生活上いつまでもエントリーできなくなるので、それは酒でも飲みながら独り言のように喋ることにして(笑、ここはさら〜〜と流していきましょう。
ここもフィレンツェカードで並ばずに入れました。
手荷物検査あり。
おおー、奥に見えるのが本日のメインディッシュ、ダヴィデじゃあーりませんか。
あれが見たくて来たわけですが、まずは前菜もいただきます。
ミケランジェロの未完成の作品群です。
一枚の大理石からどうやって掘り出していくのか作ってるところを見て見たいよ。
彼曰く、大理石の中に閉じ込められているものを削り出していくんだそうですよ。
それはネオプラトニズムというか哲学的なところからくるものなのでしょう。
ルネサンスはプラトニズムの再生でもありますね。
そんなことを考えながら1つ1つ見ていると、あっという間に時間は過ぎてなかなかメインに辿り着けないのです。
とはいえ、パリのルーブルに行ったって、「瀕死の奴隷」と未完の「抵抗する奴隷」が見られるだけなので、これだけの数の未完の作品があるというのは、さすがフィレンツェだなぁ。
ここから完成までを妄想しながらここで一杯やりたいなぁ。
メインに辿り着きました。
1504年の作品です。前回フィレンツェに来たときは時間とお金がなくてここには来られなかったので、当初設置されたシニョーリア広場にあるレプリカで良しとしたんですが(笑、どうしてもオリジナルを見たいという気持ちがありまして。
念願かなっちゃったな。
すごいわ、ミケランジェロ。
ぐるっとしてから、少し離れた場所に座って軽くデッサンも取りました。
なんでこの静かな動きのなかに込められた力強さというか意志を発している表現の実体はなんなんだろうと思うと、たまらなくなり、デッサンをすることで少しでも追体験できたらと思うわけです。
この右腕ですよ。
これからまさに動き出そうとする内なる強い力を、美しく隆起した筋肉と血管から感じます。
またこのダヴィデこそが、当時のフィレンツェ市民の置かれた立場なわけです。
武装を剥がされながらも独裁に立ち向かわんとする社会性が込めらているからこそ、ミケランジェロは市庁舎に面したシニョーリア広場への設置を求めたわけで、この作品に込められた社会性がそのまま芸術性の高さでもあるんだと思っています。
芸術は社会を反映しているし、芸術は社会のなかにあり、また社会は芸術のなかにありますでしょ。
東北の震災と呼ぶ大地震と原発事故による不安、また日本が戦争に参加するかもしれないなどといった政治的な心配などが作品に反映されることは自然なことで、それは芸術のあるべき一面でもある。その上で、そのことに敢えて触れず、視点を異なる様々な方向に向けたり交差させるのも複雑な現代における表現の1つでもあり、個の内面、自然の現象に目を向けることも移ろいのない本質を問う一面なのでしょう。
結局、あれこれ妄想が止まらに、また長くなりました。
他の部屋にも沢山の作品がありましたが、あまり人気はないようです。