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ルーブルを断片的に回想 8 レオナルド・ダ・ヴィンチにみるユマニスム

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回想メモの書きかけに入れたままだった蔵出しです。

はじめてルーブル美術館に行った時は感動と興奮の熱に浮かされた状態で作品を鑑賞するというよりも見ただけであまり頭に入っていなかったような気がします。作品全部みてやる、という貪欲な気持ちもありましたし(笑
ようやく落ち着いて見られるようになったルーブルで もう一度見たいと思う作品が幾つかあり、その中の1つがこのレオナルドの作品群です。
ロンドンのナショナルギャラリーで「聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ」を見た時に、これはまたルーブルに行って「聖アンナと聖母子」を見なくては、と思いました。

ナショナルギャラリーのデッサンは圧倒的な重量感と力強さが黒のみで作られています。
その迫力のデッサンの中に感じた少しの違和感というか倒錯した感じがルーブルの油彩の「聖アンナと聖母子」ではどう感じるのかを確かめたいと思っていました。

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僕はレオナルドの作品のなかでは、この絵とナショナルギャラリーのデッサンが好きです。
見ていて飽きないのは未完成だからというところもあるのかもしれませんが、やっぱりこの絵、何か変わってますよね。

タイトルからすると、この二人の女性は、母と娘です。
まずはそこがそうは見えない。
親子というより同世代に見えるし、母アンナの膝のうえに娘とはいえ子持ちのマリアが乗っているというのも何だかおかしい。僕はレオナルドは宗教に熱心なタイプでないと思っているし、また人文主義になっていくのがルネサンスでもあるわけですから、この絵も、タイトルだけは宗教的なものだけど、意味しているものは違うんじゃないかと想像するのです。
そこで、現代の同性婚家庭の図としてみると、年齢差も、膝に乗せた親密な関係も納得がいく......一度そう思うと、もう そうとしか見えない(笑
物語として、マリアは性交なくしてイエスを出産するわけですから、これは同性愛の延長線上の姿にみる理想の姿として見えてもおかしくない。

そう考えてみると、レオナルド自身、生涯結婚せず、青年性愛に近い同性愛者であったわけですから、この場面を描くことと、そして完成させることなくアトリエで筆を入れ続けたことが繋がるように思えます。

余談として、レオナルドのデッサン力を推して見ると、この絵のアンナはマリアよりもすごく大きい女性に描かれていますから、アンナはこの場に実体として存在していないと考えることも出来るかもしれません。
ナショナルギャラリーのデッサンを見ると、ルーブルのよりも実在する女性二人が寄り添っているように見えますが、アンナに生気を感じず、少し怖かったりします。

さて、この「聖アンナと聖母子」への違和感から作られた ぼくの妄想レンズ越しに他の作品を見てみましょう。

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やはり目に止まるのは、この「洗礼者ヨハネ」です。
この絵のモデルはレオナルドの弟子のジャン・ジャコモ・カプロッティ、通称サライ(小悪魔の意)といわれています。サライはレオナルドの邸宅の金品を何度も盗み出しているのに30年間も甘やかしながら住まわせた青年で、弟子であり恋人と言われています。
いやぁ、愛する青年の裸体での微笑、これはもうレオナルドワールド全開。やっぱりタイトルなんて関係ない.....というか免罪符なんじゃないのか。
僕は作品を前に独り深くうなづくわけです。

それにしてもこの小悪魔的な微笑、だれかに似てるんだよなぁ........

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あ、これだ。

まぁ、よく見れば似てないか。

こう考えると、レオナルド・ダ・ヴィンチの多彩な才能と技術だけではなく、ユマニスムを色濃く映してるあたり、時を超えて現代的な社会性を持った作品として見えるということは、彼の作品の芸術性の高さをあらわしているんじゃないか、と思うわけです。

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これはあくまでひとつの見方ですが、ルーブルに行く機会がありましたら検証してみてください。美術館を出てから、そんなことを考えながら1杯やるのは格別です(笑

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Comment(2)

Kawa [TypeKey Profile Page]:

ダ・ヴィンチ、変ですよね。私もそう思います。まず構図がおかしい、アンナ大き過ぎます。けれど膝の上に我が子を抱く関係を二重にしようとすると大きくせざるを得ないのかなとも思いました。アンナを霊的な存在として示している。なるほど、それは合点の行く解釈です。
あと一つは性的なイメージについて、私はレダと白鳥でそれを感じてから、他にも同じ様な感じを受ける様になりました、レダは性的な暗示その物が主題ですから当然ですが、他の主題を持つ作品にも似た印象を受けます。
私がこの世で一番の厄災と考えるある一神教について、ここ何年か考えています。知れば知る程、暗黒の中世から人間中心の世界を作る事、西欧社会がどんなに苦労を重ねて来たかに感心しています。同性愛も含めてその一端かと。

nozawa [TypeKey Profile Page]:

Kawaさん、コメントありがとうございます。
仰る通りなんですよね。先日、ローマやフィレンツェでもその変なのをお腹いっぱい見てきました。ベルニーニも素晴らしいですが、やっぱり変態だなぁ、と思うわけです。そのうち写真をあげていきます。

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2015年01月11日 23:35に投稿されたエントリーのページです。

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