これは何かと聞かれたら、答えに困ることもある。
ウッドデッキのスペースに変なものが出来てしまった。
そう、僕が作ったんだけど、意図的に作ったのではなく、度重なる行為の結果として出来たに過ぎない。
つまり、それはこういう事だ。
以前、落花生を呪術的に繋ぎグミの木に下げたところ、毎日、エナガやスズメがやってきてデッキスペースが賑やかになり、それを眺めるのは僕らのお茶の時間の楽しみになっていた。やがて吊るした落花生は食べ尽くされて、餌の切れ目は縁の切れ目、彼らが窓の外の木に長時間止まってくれる事などなくなってしまった。
彼らとのあの日々が懐かしく、今年の1月にまたグミの木に落花生をぶら下げた。そう直ぐには気づかれなかったようで、誰も来ぬまま僕らはパリに行くため暫く家を留守にした。そしてパリから帰ってみると下げた落花生は見事に空になっていた。
僕は彼らに餌がやりたい訳じゃない。彼らが庭に来ている姿を見たいんだ。
また落花生を下げるのも癪だから、余っていた杉板で餌受けを作り、ひまわりの種を入れてみた。すると翌日、ひまわりの種の殻だけが残り、中身はきれいになくなっていた。そんな日が3日も続いた。しつこいようだけど僕は彼らに餌をやりたい訳じゃない。
薪を作る時に出た、枝の付け根の三つ又の部分、ストーブに入らないから庭に転がしていた木を餌受けの上に載せてみた。それに止まりに来るかもしれないと思ったんだ。だけど、餌受けに置いたひまわりの種だけが無くなっていく。
そうだ、三つ又に止まり木を付けて、止まり易くしてやろう。きっと居心地が良くなるに違いない。
枝の付け根にドリルで穴を開けて、拾って来た枯れ枝を一本挿してみた。こっちにも一本、こっちにも一本、と、この行為がなかなか楽しくて、どんどん枝を増やす度に僕の脳内で何かが分泌され始め止まらなくなり、気がついたらまるで鳥避けのように数が増えていた。しまった、これじゃ逆効果だ。
振り出しに戻って考えよう。
鳥たちはきっと朝早くに来て食べているに違いない。
やっぱり落花生のような食べ難い形状じゃなきゃ僕らのお茶の時間まで保たないんだ。
また落花生を繋げてみた。餌受けを外すのも何だから、それに釘で打ち付けてぶら下げた。
と、いう具合にしてこれが今、これがパーゴラの上にある。行為を消さずに蓄積した結果がこれなわけだ。
この翌日、落花生はまた見事に空になっていた。
奴らも上達したもんだ。
今度はピスタチオでもぶら下げてみるか。